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大阪高等裁判所 昭和34年(ネ)1476号 判決 1966年12月26日

芦屋市大原町八一番地

控訴人

柴康雄

右訴訟代理人弁護士

野村清美

芦屋市公光町三〇番地

被控訴人

芦屋税務署長

山本三嘉

大阪市東区大手前町二番地

被控訴人

大阪国税局長

高木文雄

右両名指定代理人

氏原瑞穂

葛本幸男

本野昌樹

右当事者間の相続税確定決定取消請求控訴事件につき当裁判所は左の通り判決する。

主文

原判決を左の通り変更する。

被控訴人芦屋税務署長が昭和三一年二月二七日控訴人に対し昭和二五年度相続税(確定)の課税価格金九、一九六、四〇〇円、税額金五、一〇一、四八〇円、無申告加算税額金一、二七五、二五〇円、重加算税額金二、五五〇、五〇〇円、合計納付税額金八、九二七、二三〇円とした相続税確定決定並に右決定につき控訴人より被控訴人大阪国税局長に対してなした審査請求につき同被控訴人が昭和三二年一〇月一六日なした審査請求棄却決定中、課税価格金七、五三四、四〇〇円、税額金三、九三八、〇八〇円、無申告加算税金九八四、五二〇円、重加算税金一、九六九、〇四〇円合計納付税額金六、八九一、六四〇円を超える部分を取消す。

控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じこれを五分しその一を被控訴人らのその余を控訴人の各負担とする。

事実

控訴代理人は原判決を取消す。主文第二項掲記の相続税確定決定並びに審査請求棄却決定を取消す。訴訟費用は第一、二審共被控訴人らの負担とする旨の判決を求め、被控訴指定代理人は本件控訴はこれを棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述並びに証拠関係は、

控訴代理人において、

一、(債権契約による課税の違法)被控訴人は原審において本件贈与株券の引渡につき何らの主張もしていなかつたのに原判決理由中に控訴人と訴外柴清一郎間に贈与株券引渡の事実がある旨判断したのは当事者の主張しない事実につき判断をなした違法がある。被控訴人は本件贈与の日(昭和二五年三月一七日)に株券の引渡のなされなかつた事実を原審において自白している。被控訴人の当審における右自白の撤回には異議を述べる。すなわち本件株券引渡未了の事実は右自白により当事者間に争のない事実として確定しているのである。株券の贈与による贈与税は、受贈者に株券を引渡して始めて納税義務が発生するもので単なる債権契約により請求権を取得したものとして納税義務を課することを得ないものであるから本件課税処分は違法である。

二、(贈与株式評価の違法)被控訴人芦屋税務署長は、本件贈与株式の価額を金九、一九六、四〇〇円と認定したがこれは根拠のない不当に高価な認定価額である。

三、(根拠のない誤れる課税)被控訴人芦屋税務署長は、昭和三一年二月二七日控訴人に対し本件株式贈与の相続税の課税価額金九、一九六、四〇〇円の確定決定を発すると共に控訴人に対し昭和二七年度の金銭贈与の相続税の課税価額金二三、五一〇、一三〇円の確定決定を発した。控訴人は本件決定に対する再調査請求と共に右金銭贈与の相続税確定に対しても再調査請求をなしそのまま被控訴人国税局長に対する審査請求に移行していたが、右請求は理由あるものとして右金銭贈与についての確定決定は取消された。かかる巨額の確定決定が全部取消されたのは課税の根拠に乏しい誤れる課税処分をなしたのによるもので本件も亦根拠なき誤れる課税処分である。

四、(当事者間に確定した行政処分に反する課税)控訴人は、昭和二五年度分の富裕税の修正申告を昭和二六年七月二四日浪速税務署長になすに際し、本件株券と同種のルナパーク演芸株式会社株券を一株金七〇五円の課税評価額で申告したところ、之に対し昭和三一年二月二七日芦屋税務署長から課税価格、税額、加算税額の更正決定がなされたが、控訴人から再調査請求をした結果、同署長は、昭和三二年二月一二日誤謬を理由に右更正決定処分を取消した。之により本件株券と同種の株券の昭和二五年度の課税評価額は一株金七〇五円と確定した。然るに被控訴人らは本件株券の一株の評価額を金一、一〇八円であるとする。これは既に当事者間に確定した行政処分に反する課税評価処分で不当違法なものである。

五、(控訴人は既に昭和二一年頃より八、三〇〇株の株主)控訴人が右富裕税申告に際し所有財産として申告した株券は、本件株券と同種且つ株数も同数の八、三〇〇株である。控訴人は右株券を昭和二一年頃から所有していたもの(但しこのうち四〇〇〇株については名義書換未了なることにつき後出)で、昭和二五年以降富裕税法が施行されるに至つたので所定期日に申告し昭和二六年七月二四日に修正申告をなし税額を納付した。右の株券を控訴人が所有することは所管税務署(当時は浪速税務署)において周知していたから若しこれが贈与に基くものであれば、直ちに贈与税を課することができた筈である。右の株券は控訴人が昭和二一年頃から所有する株券であつたからこそ贈与税の問題は起きなかつたのである。然るに昭和三一年二月二八日突如として被控訴人芦屋税務署長から本件の株券贈与による相続税確定決定が送達されたが、前記の通り株券の評価額が相違するので控訴人において調査した結果、富裕税法に従つて申告した株券とは別個のもので昭和二五年頃控訴人に贈与する話のあつた株券に対する課税であることが判明したが、現物贈与による株券の引渡前に相続税を納付することは納得できないので再調査請求をなすと共に訴外柴清一郎に対し贈与株券の引渡請求をなし引渡を受けた上で改めて相続税を納付する積りである。

六、(本件贈与の納税義務者は柴清一郎)訴外柴清一郎と控訴人間における本件ルナパーク演芸株式会社株式八、三〇〇株の贈与契約が成立した日時は昭和二三年一二月である。仮に然らずとするも昭和二四年一二月である。右贈与契約成立当時における税法によれば、贈与者に贈与税が課せられることになつている(昭和二二年法律第八七号)。被控訴人らが主張するように右贈与契約が債権的契約として有効であり、受贈者において株券の引渡請求権を取得したにすぎない場合をも相続税法上の財産取得と解するとの解釈に従えば、訴外柴清一郎に贈与税の納付義務があることになり、控訴人にはかかる義務はない。なお昭和二五年三月一七日を贈与の時期とされても、当時の税法の法律第七三号は同年三月三一日に発令され四月一日に実施されたものであるから、三月一七日の贈与は旧法により清一郎が納税義務者であることに変りはない。

七、(控訴人の柴清一郎よりの四、〇〇〇株の取得原因)控訴人は柴清一郎より昭和二〇年一二月末頃前記株式会社の株券を再発行したとき株券を渡すから金を融通して貰い度い旨の申込を受け、控訴人所有のカメラ、レンズ等を売却して同人に金員を貸与していたが、昭和二一年六月五日ルナパーク演芸株式会社の株券が再発行されたので同日同人から裏書と専務取締役の承認印を受け同人名義の株券四、〇〇〇株(番号一一乃至一四の一、〇〇〇株券)を取得し名義書換手続を経由した。右は同人が控訴人から借受けた金員の支払方法として控訴人に譲渡したものである。

八、(株主名簿の不実記載)前記会社の株主名簿によると昭和二五年三月一七日に柴清一郎から控訴人に同会社株式八、三〇〇株の名義書換がなされているかの如くであるが、この名簿は真実に則しない偽造の名簿である。このことは右名簿と柴清一郎の昭和二五年度分富裕税修正申告書の記載が異り、更に右名簿と同会社株券の記載が異り(そして株券の記載によれば、昭和二一年六月五日と不動文字で印刷され、後日遡つて記入される性質のものでなく、株券発行名義は専務取締役柴清一郎と印刷されているところ、昭和二二年三月一日以降は同会社では代表取締役制が採用されており明にその以前の発行なることを示している)、更に名簿の記載と、同会社が同会社の株券を昭和二一年六月五日に発行されたこと及び右株券が同日柴清一郎や塚田吉資から控訴人に対し譲渡されたことを認めてこの事実を確定している認諾調書の記載とが異ることからみても明かである。控訴人は右昭和二五年三月一七日には勿論その以後においても本件贈与株券の引渡を受けたことはない。

九、(控訴人は一、五〇〇株を従前より所有)ルナパーク演芸株式会社は控訴人と柴清一郎兄弟の父柴清治郎の設立にかかるものであるが、清治郎生存中控訴人は一、五〇〇株の株主であり、同人死亡後もこれは控訴人の特有財産であつた。清一郎はこれを家督相続制度の存した当時の思想に従つて同人の相続財産中に包含される如くいうがかかる見解は新憲法第一四条に反し許されない。本件課税は右一、五〇〇株をも含めてのものとみられ、少くともこの部分につき違法なること勿論である。

一〇、(被控訴人主張の答弁書についての反馭)被控訴人主張の清一郎と控訴人間の別訴における控訴人の答弁書は当時の控訴人の訴訟代理人永清時蔵の事実誤認に基くものでこのことは、同人の大阪地方裁判所第二民事部宛に提出した答弁書訂正申立書及び証明書で明かになつている。清一郎から控訴人に贈与したと主張されている株券の中控訴人の名義となりその所有となつているものは四、三〇〇しかなく、その中清一郎から控訴人名義になつたものは四、〇〇〇であること明かであつて、被控訴人の援用する答弁書に記載ある八、三〇〇株の完全に裏書譲渡された株券の受贈事実などある筈がない。

一一、(納税義務の消滅)本件贈与契約は昭和二三年一二月又は昭和二四年一二月であるから遅くとも昭和三〇年二月末日を以て時効完成する。そうでなくとも本件課税当時の相続税法第二八条によれば、受贈者は、財産取得の年の翌年二月一日から二月末日までに申告書を所轄税務署長に提出する義務があり、本件についていえば昭和二六年二月二八日が提出期限であるところ、同法第三五条と第三五条の二によれば、更正及び決定は右期限から三年を経過した昭和二九年二月二八日以後においてはすることができないものであるのに、その後なる昭和三一年二月に被控訴人税務署長はその決定をしたもので違法の処分である。既に時効の完成した課税であるといわねばならない。

一二、(ルナパーク演芸株式会社の株主名義者が単なる名義株主でなく真の株主であること、及び本件贈与株券引渡未了についての主張)ルナパーク演芸株式会社は大正一四年二月二一日資本金五万円一株の金額二〇円を以て設立され、資本金を昭和二年二月一日金一〇万円に、昭和三年五月一日金二〇万円に、同年一一月一日金三五万円に、昭和五年三月二五日に金五〇万円に夫々増資された会社で株式は記名式とし、取締役は一〇〇株以上を有する株主中より株主総会で選挙され、その所有の同会社株式一〇〇株以上を監査役に供託することを要し、当初は専務取締役制をとつていたが、後に昭和二二年三月三〇日代表取締役制に変更した。右資本金が五〇万円に増資せられた当時の主なる株主は柴清治郎一五、〇〇〇柴清一郎三、〇〇〇控訴人一、五〇〇柴キヌ九〇〇藤原源三郎三〇〇名倉寿雄二〇〇である。そして控訴人は引続き、藤原は昭和一五年五月二七日以降定款所定の株式所有者として取締役に選任され持株を監査役に供託した。これらの株主中清治郎を除く他の株主は清治郎より持株の贈与を受けて株主となつたものである。清治郎が昭和一〇年一月四日死亡し清一郎が家督相続した。その後昭和一八年当時の主たる株主は清一郎一八、八四〇清之助三〇〇の外は前記株主の持株数に移動はなかつた。同会社は前記昭和五年の増資の際株券を発行していたが昭和二〇年その殆んどを焼失したので昭和二一年六月五日これを再発行した。株券の発行名義人は専務取締役柴清一郎、発行日は同日、発行日現在の株主を原始株主として表示、一、〇〇〇株券、一〇〇株券、一〇株券に夫々通し番号が附されていた。清一郎は右発行株券を名倉寿雄に交付し同人に株主名簿を兼ねる株券台帳に夫々株主毎に株主の氏名持株数株券種類番号数量を記入させ会社に備付させた。右台帳には前記清一郎、控訴人、キヌ、藤原、名倉の外塚田吉資が記入された。そして前記七の通り同日控訴人は清一郎より四、〇〇〇株の譲渡を受けた。なお塚田吉資から三〇〇株(番号四〇号ないし四二号)の譲渡を受けた事情も清一郎からのものと畧同じである。控訴人は昭和二一年一二月頃清一郎から再度融通依頼がありこれを融通すると同人は担保の目的で同人が原始株主であつた番号一五号一六号譲渡人上田純二及び番号一七号一八号譲渡人小林喜兵衛の一〇〇〇株券四枚を控訴人に差入れた。そして控訴人が清一郎に対し融通した金員は計五〇万円塚田に融通した金員は四万円であり、清一郎と塚田よりの分は名義書換えの上受取つたので四、三〇〇株の株主となり、上田、小林よりの分は控訴人に名義書換ができておらず控訴人は株主となつていない。ついで昭和二三年一二月頃清一郎、キヌ、控訴人同席の上清一郎は財産分けとして曾根崎の土地、ルナパーク演芸株式会社の株式八、三〇〇株(株券の種類番号未定)現金五〇万円を控訴人に贈与する旨の話合が成立したのに清一郎は未だその履行をしない。

と述べ、立証として甲第八ないし第一七号証、第一八号証の一ないし三、第一九号証の一ないし四、第二〇ないし第三一号証、第三二号証の一及び二、第三三ないし第三七号証、第三九、第四〇、第四二号証、第四三号証の一ないし三を提出し、当審証人柴清一郎(第一回)当審における控訴本人尋問の結果を援用し、乙第二〇、第二三、第二五、第三七、第三八号証(枝番を含む)第四〇、四一号証はいずれも不知、その余の当審提出の乙号各証の成立を認むと述べ、

被控訴人ら代理人において

一、(本件贈与株式の評価)控訴人が昭和二五年三月一七日柴清一郎から贈与により取得した本件株式の価額は、市場価格がないので次の方法で評価した。贈与直前の決算期(同年二月二八日期末)の貸借対照表及び附属明細書にもとづき、贈与時におけるルナパーク演芸株式会社の純資産価額を算定、次にこの時に右会社が解散したならば法人税法(昭和二五年法律第七二号による改正前のもの)又は地方税法(昭和二五年法律第二二六号による改正前のもの)により清算所得に対し法人税又は事業税が課せられるから、この税額の合計額を純資産価額から控除した金額を払込済株式金額に按分して評価した。

〔一〕、純資産価額の計算

法人所得資産の中借地権、建物(貸店舗を除く)については贈与時の時価相当額に評価換し、その他の資産については帳簿価額を時価相当額とし、総資産価額六五、四一二、九三四円を算出し、これから総負債七、七六一、四一七円を差引いて純資産価額を五七、六五一、五一七円とした(内訳別紙(一)の通り)。

〔二〕、借地権、建物の贈与時の時価評価方法

(一)  借地権の評価

借地権の目的となつている宅地の賃貸価格計三七、五二〇円に相続税不動産評価標準書に定められた借地権の評価倍数三五〇を乗じて得た額一三、一三二、〇〇〇円を以て時価と評価した(内訳別紙(二)の通り)

(二)  建物の評価

(1) 普通家屋である浴場(家屋番号二四三番)はこの建物の賃貸価格二、九二六円に相続税不動産評価標準書に定められた自用家屋の評価倍数七〇〇を乗じて得た額二、〇四八、二〇〇円をもつて時価とした。

(2) 特殊家屋である映画館(家屋番号一六六番)劇場(家屋番号二四〇番)は夫々の賃貸価格五四、六九九円と六、八三九円に自用家屋の評価倍数七〇〇を一割増した七七〇を乗じて得た合計額四七、三九九、六六〇円をもつて時価と評価した。

(三)  貸店舗については賃貸価格がないので帳簿価額二一二、〇八三円をもつて時価と評価した(以上内訳別紙(三)の通り)

〔三〕、清算所得に対する法人税等の計算

(一)  前記の法人税法第八条第一四条第一七条によれば、株式会社が解散した場合には残余財産の価額が解散当時の払込株式金額を超過する金額をもつて清算所得とし、その中積立金又はこの法律若くは他の法令により法人税を課せられない所得から成る金額の一〇〇分の二〇、その他の金額の一〇〇分の四五に相当する法人税が課せられる。また前記地方税法第六五条第六七条によれば、株式会社が解散した場合残余財産の価額が解散当時の払込株式及び積立金額の合計額を超過する金額をもつて清算所得とし、これに事業税として清算所得金額の一〇〇分の七・五が課せられる。

(二)  よつて前記法人が本件株式贈与時に解散したと仮定した場合の清算所得に対する税額は、法人税二五、六七三、九二二円事業税四、二七三、〇八五円合計二九、九四七、〇〇七円となる(算式は別紙(四)参照)

〔四〕、株式一株当りの評価額

前記法人の純資産額五七、六五一、五一七円より前記法人税及び事業税の合計額二九、九四七、〇〇七円を控除した金額を総株式数二五、〇〇〇で除した一、一〇八円一八銭をもつて前記法人の贈与時における一株当りの評価額とした。

二、(控訴人主張の富裕税の際の本件株式の評価額について)芦屋税務署長や浪速税務署長が控訴人の申告額一株七〇五円が相当と認定したものではない。控訴人は大阪市浪速区霞町一の一番地を納税地として昭和二六年二月二八日昭和二五年度分富裕税申告書を浪速税務署長に提出し、更に同年七月二四日修正申告書を提出した。右申告における財産価額の中本件株式は株式数八、三〇〇単価七〇五円合計五、八五一、五〇〇円となつていた。被控訴人税務署長は右申告価額は過少と認めたので昭和三一年二月二七日本件株式につき単価一、三九三円金額合計一一、五六一、九〇〇円とする富裕税更正をなし、同日控訴人にその通知をした。控訴人は右更正処分に対し昭和三一年三月一七日再調査請求をしたが、元来富裕税の更正処分は、その申告書を受理した浪速税務署長がなすべきもの(富裕税法第三八条第三項)で、被控訴人税務署長にはその権限がないのに誤つて更正処分をしたものであるからこれを取消す意味において昭和三二年二月九日更正(減額)処分をなし同日控訴人に通知するとともに浪速税務署長にその旨通報し、浪速税務署長において更正すべく連絡したが右富裕税については時効により同税務署長においても更正できないこととなつただけのことである。

三、(本件贈与株券の引渡)被控訴人らの従前より主張する贈与契約により控訴人が本件株式八、三〇〇株につき株券引渡請求権を取得したことのみをもつてしては未だ贈与税の課税原因とするに足りないとしても、控訴人は右贈与契約の履行として昭和二五年七月前記会社の一、〇〇〇株券一一号乃至一八号八枚、一〇〇株券四〇号乃至四二号三枚合計一一枚八、三〇〇株の交付を受けているから本件課税処分に違法はない。右贈与契約履行については番号第一一号乃至第一四号の株券は清一郎から控訴人へ裏書して引渡され、第一五号第一六号の株券は清一郎から上田純二へ裏書され、同人の譲渡並びに名義書換えについての委任状かまたは白紙委任状をつけて控訴人に引渡され、第一七号第一八号の株券は清一郎より小林喜兵衛へ裏書され前同様委任状をつけて控訴人に引渡され、第四〇号乃至第四二号の株券は塚田吉資から控訴人へ裏書して引渡された。かくて控訴人は裏書譲渡又は委任状付で本件株式の譲渡を受け贈与株式の株主権を取得したからいつでも会社に対し名義書換え手続を請求することができ八、三〇〇株の株主権を行使することができることとなつたのである。

四、(ルナパーク演芸株式会社の特質と清一郎控訴人間の粉争)ルナパーク演芸株式会社はもと亡清治郎のワンマンカンパニーで同社の株式は数名の者の名義となつていたがそれらはいずれも名義株で実際は清治郎のものであつた。妻子といえども名義株を贈与していたわけでなく、名義株にはすべて名義書換えの委任状が付され清治郎が支配した。昭和一〇年頃同人死亡し清一郎が家督相続し清一郎のワンマンカンパニーとなり同人が清治郎と同じく全株式を支配した。控訴人は、清一郎が会社の利益を壟断することに快からず、仲介人として母キヌ、名倉寿雄、藤原源三郎を入れて相続財産の一部の贈与方を申入れた。その結果本件八、三〇〇株の株式の外曾根崎の土地や現金が贈与されることになつた。そして右曾根崎の土地売却による税金の問題から控訴人は清一郎より訴訟を起されたがその訴訟における答弁書中では、当時いまだ本件課税がなされていなかつたので、控訴人は本件株券を裏書護譲により贈与を受けた旨主張しているのである。右会社の株主名簿は昭和二〇年の戦災で焼失したが、本件株式贈与により初めて控訴人の実質株が生じたことなどにより必要にせまられ昭和二九年二月頃再調整せられその際事実に合致した本件贈与による控訴人の株主権取得が記載された。株券上の記載には上田純二、小林喜兵衛、塚田吉資などが現れて来るがこれらの者は只名義を借用されただけのものである。なお株主名簿は、昭和二一年六月五日に夫々の名義株主が株主となりその後変動がないように調整されていて事実に合致しない点もあるが、これらは同日付で印刷されていた株券を後日使用したことによるもので、控訴人に本件の八、三〇〇株を贈与するまでは株主名簿や株券などはどうでもよく正確に整理する必要もなかつたものである。

五、(本件課税処分についての事前調査)控訴人は本件課税処分につき調査が行なわれなかつたと云うが、大阪国税局直税部資産税課と浪速税務署において事前調査をしたもので、調査の結果八、三〇〇株の贈与は、昭和二五年中に行われ、昭和二一年六月五日という株券上の譲渡の日付は控訴人が贈与税を回避するため真実の譲渡日を仮装隠ぺいする手段として利用したことが判明したのである。

六、(控訴人の租税債権消滅の主張について)控訴人主張の相続税法第三五条の二は、昭和二六年法律第四〇号により追加されたもので同法附則第一項により本件贈与には適用されない。申告書の提出のない時は課税期間は五年である。

七、(控訴人の被控訴人がしたとする自白の援用及び控訴人は単なる名義株主ではない旨の主張について)原審における被控訴人の主張の要旨は、本件株式贈与契約締結の際には株券の引渡はなされなかつたがその時点においてさえ原審主張のような法律構成ができる旨を述べたにすぎぬ。本件課税処分が株券の引渡しのあつたことを理由になされたことは当然の前提として、主張されている。このことは原審提出の準備書面第三項末尾からも窺いうるところであつて株券引渡の不存在を被控訴人らにおいて争わない趣旨でない。仮にそうでなく株券引渡不存在を前提とする趣旨のものとしても、およそ自白は相手方が挙証責任を負う主要事実を認めた場合に限られ、被控訴人らが挙証責任を負う主要事実たる株券引渡の事実の不存在の如き主張は自白となる余地なく、何時でも自由に撤回して更に右主要事実を主張立証することができるものであり当審で被控訴人らがこの主張を明確にしたからとて自白の撤回には当らない。仮に右が自白の撤回に当るとしても本件贈与株券が引渡済なることは既に証拠上明白となつたから、株券引渡不存在の主張は、真実に反し錯誤に出たものとしたものとして撤回が許される。なお控訴人は役員に就任した事実を以て名義株主ではなかつたと主張するが、ルナパーク演芸株式会社は清治郎のワンマンカンパニーであり、商法上の形式を整えるため自由に各人の名義を使用していたものなることは前叙の通りで本件株式贈与を受けるまで控訴人は全く名義のみの株主(一、五〇〇株)であつたにすぎぬ。

と述べ、立証として乙第一六号証の一、二、第一七号証の一ないし三、第一八号証の一ないし五、第一九号証の一、二、第二〇号証、第二一号証の一ないし三、第二三ないし第二五号証、第二六号証の一ないし三、第二七ないし第三六号証、第三七号証の一ないし七、第三八号証の一、二、第三九ないし第五二号証を提出し、当審証人乾国重、同藤原源三郎、同柴清一郎(第二、三回)の各証言を援用し、甲第一九、第二〇、第三〇、第三三、第三五、第四〇各号証(枝番を含む)は不知、その余の当審提出の甲号各証の成立を認むと述べ、

当裁判所において職権を以て控訴本人(第二回)を尋問した外はいずれも原判決事実摘示と同一であるからここにこれを引用する。

理由

第一、(控訴人の自白援用と被控訴人らのその撤回)

被控訴人らが原審で本件贈与株券の引渡につき何らの主張もしていなかつたのに原判決理由中で右引渡の事実を肯定したのは右引渡の事実を主要事実と解する場合には(本件において被控訴人らが予備的にせよ主要事実として主張しているものなることは被控訴人らの当審における主張三により明かであるから当裁判所もこれを主要事実として取扱う)、明に弁論主義に反する違法のあることは、控訴人の主張する通りであるけれども、被控訴人は当審においてその主張をしたのであるから右違法はもはや本件の結論には何ら影響を及ぼすものでない。原審における昭和三三年八月二日付被控訴人らの第一回準備書面(同日第四回口頭弁論において陳述)によれば、被控訴人らは本件贈与契約の行われた昭和二五年三月一七日に株券の引渡がなされなかつた事実を認めたに止り、同年中に引渡が完了したかどうかについては何らの主張をしていない。従つて被控訴人らにおいてその後判明した事実調査に基き同年七月中にその引渡の完了した事実を主張することは自白の撤回ではなく、正に防禦方法としての主張を予備的に附加したに止るもので控訴人のなす自白の援用は失当であり当裁判所はこの点につき自白としての拘束を受けることなく事実の認定をなしうるものである。

第二、(当事者間に争なきかまたは明に争わないことにより自白したものとみなされる事実)

(一)  被控訴人税務署長が昭和三一年二月二七日付を以て訴控人主張の相続税決定処分をなし、同月二八日控訴人にその主張の通知書を交付し、控訴人がその主張の日同被控訴人に再調査請求をなし、之が審査請求に移行し、これに対し被控訴人国税局長が控訴人主張の日付を以て棄却決定した。

(二)  ルナパーク演芸株式会社(以下会社という)は大正一四年二月二一日資本金五万円一株の金額二〇円を以て設立され昭和五年三月二五日には資本金五〇万円となつた会社で、株式は記名式とし、取締役資格として会社株式一〇〇株以上を有することが要求されており、当初専務取締役制をとつていたが後に昭和二二年三月三〇日代表取締役制に変更された。右五〇万円に増資せられた当時の主なる株主名義者(柴清治郎以外の者が単なる名義株主にすぎないか真の株主であつたかについては争がある。)は柴清治郎一五、〇〇〇柴清一郎三、〇〇〇控訴人一、五〇〇柴キヌ九〇〇藤原源三郎三〇〇名倉寿雄二〇〇であつた。控訴人は清治郎存命中にも右会社の取締役を勤めたことがある。昭和一〇年一月四日清治郎死亡し清一郎が家督相続をした。昭和二一年六月五日付発行名義人専務取締役柴清一郎とした一、〇〇〇株券、一〇〇株券、一〇株券に夫々通し番号が附された会社株券が発行された(真実発行された日が何時なるかについては争がある。)。

(三)  右昭和二一年六月五日付会社株券一、〇〇〇株券番号一一号乃至一四号計四〇〇〇株が株主名義者清一郎より控訴人に、同じく一五号一六号が株主名義者清一郎より上田純二に同じく一七号一八号が株主名義者清一郎より小林喜兵衛に各裏書譲渡の記載のある株券を以て、及び会社株券一〇〇株券番号四〇乃至四二の三枚が株主名義者塚田吉資より控訴人に裏書譲渡の記載ある株券を以て以上いずれも控訴人に譲渡せられ(譲渡の時期及び原因について大に争がある。)、昭和二五年度昭和二六年度の富裕税申告において控訴人は会社の八、三〇〇株を有する旨の申告をなした。

第三、(主要の争点とこれに対する判断)

本件主要の争点は、一にかかつて右八、三〇〇株が被控訴人らの主張する昭和二五年三月一七日に清一郎より控訴人に贈与されて同年七月中に引渡されたものか、然らずして控訴人主張のように昭和二一年六月五日または同年一二月中他の原因により清一郎又は塚田より控訴人に譲渡せられたかにある。

よつて先ずこの点を按ずるに、前掲当事者間に争のない事実に成立に争のない乙第一号証の二(覚書)乙第三号証(別件の答弁書)乙第五号証(別件の準備書面)乙第六号証(証人柴清一郎審尋調書)乙第二九号証(別件の答弁書)乙第三〇号証(証人浅野長生審尋調書)乙第三一号証(証人藤原源三郎審尋調書)乙第三四号証(柴清一郎審尋調書)乙第三五号証(証人乾国重審尋調書)乙第三六号証(柴清一郎審尋調書)乙第五二号証(証人藤原源三郎尋問調書)方式及び趣旨により公務員が職務上作成したことにより成立の認められる乙第三七号証の三、四、五(柴清一郎、柴清之助、乾国重に対する各応答書)と当審証人柴清一郎(一、二、三回)乾国重、藤原源三郎の各証言を総合すると、柴清治郎の巨万の財産(会社株券を含む)を清一郎は前記昭和一〇年一月四日家督相続したが、同人はその中会社株券についてはすべて清治郎と自己のみが実質株主であつたのであり他の者は名義株主にすぎないとて控訴人の一、五〇〇株についても否定的な主張をなすので控訴人は右株式については勿論他の財産についても弟として遺産の分配を強く求め続け幾度か談合が重ねられたにも拘らず清一郎はなかなかこれに応じようとせず最終妥結を見るに至らなかつたが、母キヌの強つての懇望を断ることもできず、昭和二五年三月一七日付覚書と題する書面を以て遺産全部の約三分の一に当る大阪市北区曾根崎上三丁目三一番地宅地一三三坪三五(四四〇・八二平方メートル)現金五〇万円及び従前の控訴人名義の株式一、五〇〇を含めて計八、三〇〇株を贈与することとし、右の趣旨を記載した覚書二通を作成し、一通は自己が保持し他の一通はこれをその頃控訴人に交付した(右は控訴人の贈与の申込に対し清一郎において承諾したものであつて、ここに書面による贈与が成立し贈与税の課税原因事実が成立したものである)。そして戦前の会社株券は戦災のため大半消失し戦後は会社において株券を発行していなかつたが、株券発行の準備として昭和二一年六月五日付を以て印刷した用紙があつたのを用いて八、三〇〇株(その内容は前記第二(三)に示した通り)を裏書日付も同日として昭和二五年七月頃控訴人方でキヌ立会の上清一郎より控訴人に引渡した。右の中塚田名義のものは現実には清一郎の支配する名義株であり、塚田名義の名義書換え委任状付のものであつて、小林及び上田名義となしたものは控訴人のいうままにそのようにしたもので、これも同様委任状付のものであるからここに控訴人は従前持株一、五〇〇に加え計八、三〇〇株につきその所有株主として現実に支配することとなつたものである。以上の事実を認定することができる。右認定の妨げとなる疑のある証拠を検討するに(一)成立に争のない乙第一号証の一乙第九号証によれば控訴人は清一郎を相手取り昭和二五年三月一七日贈与を受けた会社株式八、三〇〇株の引渡を未だ受けていないとして、神戸地方裁判所尼崎支部に対し、昭和三一年六月一九日その引渡訴訟を提起し同年七月三日仮処分を申請した事実を認めることができるが、これは前認定にかかる贈与株券が昭和二一年六月五日の発行となつており、裏書日付もまた同日となつていることを奇貨としてかような訴提起または仮処分申請に及んでいるもので右各号証記載内容中株券引渡未了と主張する部分は前顕事実認定の資料とした各証拠に照し信用し難い。(二)当審における証人柴清一郎の証言(第一回)により成立の認められる乙第一五号証(株主名簿)の記載は、本件株券贈与の年月日及び清一郎より控訴人へ裏書された四、〇〇〇株については前認定と符合しその余の四、三〇〇については、うち四、〇〇〇につき名義上の譲受人上田、同小林が株主名簿上その名義を顕しておらずまたうち三〇〇株につき塚田より控訴人への譲渡の記載がなされておらないが、これらの点において右名簿には一部真実と合致しない記載がなされておるものと認むべく前認定を左右しない。(三)成立に争のない甲第二三号証によれば、桝谷博外四名が本件贈与株券中第一三、第一四号の一、〇〇〇株券及び一〇〇株券全部につき控訴人より贈与を受け株主となつたと主張して会社に対し前記尼崎支部に訴を提起したるに、会社はこれらの原告らにその主張の株主権が存することを認諾したことが認められ、その認諾調書添付の目録によれば清一郎や塚田が控訴人に株式を譲渡した年月日として昭和二一年六月五日と記載されておることが明らかであるが、かかる認諾調書があるからとて右譲渡年月日がこれらの当事者間においてすら同日である事実が確定せられるものでなく、いわんや当事者を異にする本件においてこのような譲渡年月日の記載は真実に符合しないことを認定するの妨げとなるものでない。この日付の記載は既に印刷されていた株券用紙を流用したことによる誤であること前に説明した通りである。(四)成立に争のない甲第二六号証(株券確認書)、原審証人名倉寿雄の証言、原審及び当審(一、二回)における控訴本人尋問の結果によれば、前記認定番号の贈与株券裏書欄の記載は、右名倉がその記載通りの日になしたというのであるが、かかる記載及び証言や供述はいずれも前顕事実認定の資料とした各証拠との対照上たやすく信用し難い。(五)なお前顕各証拠中乙第二九号証(別件の答弁書)は当裁判所が本件株券贈与及び引渡し年月日を認定するにつき心証上重要な意義を有したものであるところ、これにつき控訴人は甲第四三号証の一、二、三を提出して、答弁が誤であつたから訂正するとして乙第二九号証の証拠価値を減殺しようとするのであるけれども、右甲号証の二、三の記載内容はたやすく信用し難く右乙号証の価値を減殺するに足りない。以上説明した外には前認定を左右するに足る格別の証拠もない。

第四、(一、五〇〇株につき課税処分の違法)

右認定事実に基き果して八、三〇〇株全部につき本件課税処分をしたことが適法かどうかを按ずるに(当裁判所は、その中六、八〇〇株については既に書面による贈与契約時に課税原因事実が成立したとするものであるが、被控訴人らは予備的に引渡完了の事実をも主張しているのでこの点にも触れて判断する)。

(一)  清一郎から控訴人名義に裏書譲渡せられた四、〇〇〇株については何等それを違法とする余地はない。

(二)  清一郎から上田、小林名義に裏書譲渡せられた旨の記載のある四、〇〇〇株についても、これらの名義を借用することを控訴人が申出たので清一郎がそれに応じたものなること及び右名義者らの名義書換用委任状付のものであつたこと前認定の通りであつて、これらの株券が贈与契約当時は具体的確定を欠いても、清一郎より控訴人書面により贈与せられた以上ここに贈与税の課税原因は、成熟確定したものとするに足るべく、後に引渡された株券の形式上の名義者が他人であることは真実の受贈者たる控訴人に課税するにつき何らの妨げとならぬものと解する。

(三)  塚田より控訴人への三〇〇株についてもこの塚田名義の株式は真実清一郎の支配するところのもので、塚田の名義書換用委任状付のものであつたのであるし、この株券についても控訴人が真実清一郎から書面により贈与を受けたものであるから、前同様である。

(四)  只右八、三〇〇株中一、五〇〇株については大に考えてみねばならぬ問題がある。それは前記の通り会社においては取締役資格として株主なることを要件としており、控訴人は真実清治郎存命中より会社の取締役であつたもので前顕事実認定の資料とした各証拠と成立に争のない甲第一七号証、甲第一八号証の一、二、三によれば、控訴人は不品行のため一時清治郎の忌諱に触れやめさせられたことがあるが、その後同人死亡後も商業登記簿に登記せられた取締役であり、取締役としての活動もなし報酬も受けており、一、五〇〇株の株主たることの自覚をも有したものなるところ、清一郎においては、会社株式は自己の分を除く総てはその生前は清治郎のもので死亡後は自己が家督相続により取得したものと考えており、従つて八、三〇〇株は新に控訴人に贈与したもので、若し一、五〇〇株が元から控訴人のものであるのならばそれは当然八、三〇〇株の中に含まれる趣旨の贈与をしたものと認定されるのである。このような事実関係の下で控訴人の従来より有した一、五〇〇株は、被控訴人ら主張のようにこれを単なる名義株と解するのは妥当ではない。蓋しその払込金の出捐をなした者は清治郎であるとはいえ、控訴人の名義は清治郎が無断借用したというような関係でなく控訴人が株主として取締役となり報酬を受けることを清治郎が許していたものと認められる以上、株式の現実の支配は清治郎(その死後は清一郎)がしていたとしても、控訴人は単なる名義株主でなく真実の株主であつたものというべく、従つて本件贈与は名目は八、三〇〇株であるとはいえ、新に控訴人がこの贈与により真実に利益を受けるのは、八、三〇〇株から一、五〇〇株を控除した六、八〇〇株にすぎないものと解するのが相当で、従つて真実贈与を受けたのは六、八〇〇株にすぎず残余の一、五〇〇株は控訴人のものなることを確認した意味を有するものと解すべきである。前顕各証拠中控訴人の一、五〇〇株は名義株主にすぎず真の株主でない趣旨の部分及び前記乙第一五号証株主名簿中控訴人の一、五〇〇株の記載がない点などは、清一郎が会社を自己のワンマンカンパニーと考え全株式を自己のものとしていたことによるもので、正当なものでない。贈与課税においても他の課税と同じく課税年度に発生確定した真実の贈与物件の帰属に着眼すべく、本件八、三〇〇株中一、五〇〇については既に清治郎の生存中より着実に控訴人に帰属しておるものであり、これを同年度の贈与として課税することは違法であるといわねばならない。

第五、(贈与株式の評価)

控訴人のこの点に関する主張は、被控訴人税務署長の評価は、不当に高価であるというのであり、その根拠として主張するところは、本件課税と同時になされた金銭贈与の確定決定が審査の段階で請求が理由あるものとして取消されるような根拠のない課税処分であつたこと、及び昭和二五年度の富裕税の課税につき会社株式を一株七〇五円と評価した控訴人の修正申告が結局において維持されたことを理由とするものであるが、これらのことから直に本件課税処分にその評価においてまたはその他の点でも違法があるものとなすことはできず、却つて成立に争のない乙第一六号乃至第一九号(各枝番を含む)第三者の作成にかかり真正に成立したものと認められる乙第二三号証によれば、被控訴人税務署長は被控訴人らが当審において主張する(事実摘示被控訴人らの主張一)ような方法で株式の評価の算定をなしたもので違法は認められない。

第六、(その余の控訴人の主張の排斥)

控訴人は本件贈与は昭和二三年一二月然らずとするも昭和二四年一二月になされたもので当時の法律に従えば納税義務者は柴清一郎であるとし、昭和二五年三月一七日を贈与の時期としても同年法律第七三号は同年四月一日に実施されたのであるから旧法により清一郎が納税義務者なることに変りなく(以上当審における控訴人の主張六)、また遅くとも昭和三〇年二月末日を以て課税権は時効により消滅したものであり、更正及び決定は昭和二九年二月二八日以降はすることができないものであると主張するが(前同主張一一)、書面による贈与契約がなされたのは昭和二五年三月一七日であつてそれより以前に屡々談合が持たれたけれども妥結するに至らず控訴人主張の如き口頭による贈与契約は認められないこと前示の通りであるのみならずかかる口頭契約は履行前にはいつでも贈与者において取消すことのできるものであるから、いまだ課税原因事実として成熟確定せず納税義務の発生しないものであるというべく、また所論の昭和二五年法律第七三号は昭和二五年度即ち同年一月一日以降の課税原因に適用せられるものであり(附則4)、更に所論の三年の更正期限についての法律(昭和二六年法律第四〇号)は昭和二六年一月一日以降のものについて適用を見るもの(附則1)であるから控訴人の右の主張はいずれも採用しない。その余の控訴人の主張は前に理由あるものと判断した控訴人の従前よりの持株一、五〇〇に関する点を除き悉く理由がないことは、叙上説示に照し自明である。

第七、(当裁判所の正当と認める課税価格及び税額の計算)

以上によれば、課税価格は一株の評価額一、一〇八円に対し六、八〇〇を乗じた七、五三四、四〇〇円を以て相当とすべくこれを当時の相続税法により課税計算をすれば、税額は三、九三八、〇八〇円無申告加算税額は九八四、五二〇円重加算税(本件の認定事実の下ではその要件を充足している)額は一、九六九、〇四〇円となる。よつて右の限度において本件各決定は適法としてこの部分についての控訴人の請求は理由なくその請求部分を棄却した原判決部分は相当であるが、これを超過した部分についての本件各決定は違法として取消すべく、控訴人の請求中右部分を棄却した原判決部分は相当でなく本件控訴は右部分に限り理由がある。よつて原判決を主文第二、三項の通り変更し民事訴訟法第三八四条第三八六条第九六条第九二条第九三条を適用し主文の通り判決した。

(裁判長判事 宅間達彦 判事 増田幸次郎 判事 小林謙助)

(別紙一) 純資産価額計算書

昭和25年2月28日現在

〈省略〉

(別紙二) 借地権評価明細

〈省略〉

(別紙三) 建築物評価明細

〈省略〉

(別紙四) 清算所得税額計算表

(1) 法人税

清算所得=残余財産の価額-払込株式金額

=57,651,517円-500,000円=57,151,517円

〈省略〉

(2) 事業税

清算所得=残余財産の価額-(払込株式金額+積立金等)

=57,651,517円-(500,000円+177,039円)=56,974,478円

〈省略〉

(註) 積立金等とは、別紙(一)の法定積立金、特別積立金、税金引当金の合計額である。

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